社会の問題を解決するソリューションを見出すトーク配信番組「アートリーアカデミア」、この回のテーマは「ミサンドリーの倫理観」
ミサンドリーとは「男性嫌悪」「男性憎悪」。面識の無い男性による女性への傷害事件うをきっかけに生まれた男性批判。しかし、すべての男性を潜在的な犯罪者であると決めつけること自体が男性蔑視だという声も相次いだソウルでの出来事。それによって何が可視化されたのでしょうか。
当事務所の税理士・原辰彦は番組の中でミサンドリーの倫理観について語っています。
生物としてという話であれば───
「偏見かもしれないけれど、男性は狩りに行くもんだっていう発想があるから、そこの部分が暴力的とか、そういうわけじゃないけど、威圧としてあったり、恐怖に感じる部分ってあるのかなって。性別の部分では。本能的な部分で。」
そもそも前提が人それぞれなのでは───
「この軽蔑って部分の捉え方も、言葉として様々な捉え方が違うんじゃないのかなって思います。ミソジニーもミサンドリーもそうだと思うんですけど、軽蔑とか蔑視って言葉をどう受け止めるかって、人それぞれ違うと思うんです。」
国や文化によっても前提や背景は違う───
「例えば海外の方が、どう捉えるかという時に、風習や文化の部分でどうしても男性が優位に立つ社会だったりとかという部分が前提だったり、宗教的な部分でどうしても男性が優位に立っている。それに対して、社会的にはそうだけど、でもその前提が無ければ実際には下じゃないのか?という考え方もあるかもしれない。」
蔑視の対象が何なのか───
「(隣の芝生は…という感覚で)自分の彼氏や旦那の悪口を言う、蔑むことはまた違う話ではないか。それはミサンドリーとは違うのかもしれない。」
ミサンドリーもミソジニーも、カテゴライズすることで他の何かの感情をはめ込んでいるだけかもしれません。
性別による差別はあってはならないことですが、もしもそういった感情が湧いてきたときに、本当にそれは性別によるものなのか、特定の誰かに対してのものではないのか、自分と向き合うことが大切かもしれませんね。
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